長さ7メートルを超える手紙

明治時代を代表する文学者 正岡子規が、未だ世にでる前の学生時代の話です。

子規は2人の親友がいました。幼なじみの清水則遠(のりとお)と秋山真之。どこに行くにも一緒という仲でした。

しかし、清水が病で亡くなってしまいます。栄養不足からくる脚気が悪化して起きた心臓麻痺でした。親元から届くはずの仕送りが届かず、薬が買えなかったのでした。子規は幼なじみの死に激しいショックを受け、一時錯乱状態に陥ったといいます。この時、子規をしっかりと支えたのがもうひとりの親友、秋山真之でした。

「のぼるさん(子規の名)、しっかりおしや」

そう落ち着かせ、励まし清水の葬儀を執り行います。このとき、亡くなった清水の実家宛てに、子規が出した手紙が残されています。

なんと、長さ7メートルを超える手紙です。

傍に居ながら救えなかった無念さと、詫びる気持ちを繰り返し綴っています。子規はこの手紙のなかで、次の誓いを立てています。

「ご令弟の名をあげることを今後の自分の一生の目的にするつもりです。そのためにはまず第一に僕の名をあげることにつとめ命をかけようと思います」

志半ばにして亡くなった友人の死は、子規と真之にひとつの決意をさせました。

必ず世の役にたつ男になって、そのことで亡くなった親友、清水の名をあげる! 

そう誓ったのです。

その後の子規は、誓いのとおり、俳句・短歌の改革運動を見事に成しとげ歴史に名を残します。子規は死を迎えるまでの約7年間、結核を患っていましたが享年34でこの世を去ります。

しかし、正岡子規葬儀の日。残された親友、秋山真之はなかなかやってこなかったそうです。そして、子規の棺が家を出る、そのとき!

ようやく秋山真之がやって来ました。袴を履いて現われた真之は、しかし、道端に立ち止まって一礼し足早に立ち去ったといいます。

「一刻も早く兵学家として大成するため、仕事に戻ることが、何よりも友の供養になる」

真之はそう考えたんだと思うんです。友との約束をいまなお守るために。

子規の死から、16年後、真之は盲腸炎を患い亡くなります。夜明け頃に詠んだという辞世の句は、子規が命をかけて打ち込んだ俳句によるものでした。

「不生不滅 明けて鴉の 三羽かな」 秋山真之

人は自分のためにはなかなかがんばりきれないもの。でも友のためならどこまでも、どこまでも、どこまでもがんばれる生き物のようです。人間、とても不思議な生き物なり。

さて、あなたは誰のためにがんばりたいですか?

(メルマガ名言セラピー :ひすいこたろう)---------------


自分のためにはなかなか頑張りきれない。本当にそう思います。だから時々私はxxさんのためにって考えたりします。でも凡人だから時間が経つと「何でxxさんのためにやっているんだろう?」と、思ったりもして・・・ダメですねぇ。。。(笑)

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